複雑でシンプルな人生

中年真っ盛りのおっさんが、日々思ったことを書き綴ってみる。

愛を取り戻せ!

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もう20年位前か。


その当時で、すでに作られてから15,6年位経ってる骨董オートバイのFX-Ⅲでサーキットで遊ぶの図。

 

80年代のアメリカのスーパーバイクライダーを気取ってポーズ。

名前がミツだからゼッケン♯32。

ヘルメット脱ぐと金髪だしね。
今より10kg強、軽いしね。
携帯電話はIDOだったしね。

若気のいたり。

 

あるときからサーキットで走り始め、あれこれ乗り換えちゃ、サーキットに持ち込んで走り回って来たけれど。

今じゃすっかりツナギも着れなくなった。

 

「速く走れないオートバイ屋の言うことなんか、お客は誰も聞いてくれないんだ。」と、思い込んでいた若い頃、ナメられたくなくて、ムキになって速く走ろうとした。

バカみたいにお金使って、挙げ句に怪我もして。

 

振り替えってみると、ムキになってオートバイに乗ってた頃は、意味も無く疲れてて、よくよく考えるとあんまり楽しくは無かったんだな。

 

速い遅いだけじゃなくて、オートバイ屋なんだから、プレミアムないいオートバイに乗らなきゃ、とか、でかいオートバイに乗らなきゃ、とか、格好よく改造しなきゃ、なんて見栄をはっていたけれど。

 

いろんな事が、全てただのストレスだった事に、フッと気がついて、色んなもの全部ホッポリだして、昔好きだった400ccの単気筒に乗り換えた。

 

ホンダのGB400TT ・MkⅡ。

今の愛車。

 

なんもかんもがちょうどいい。

そういや、オートバイってのはこう言うものだったはずだ。

乗ってりゃ、それで楽しかった。

晴れてても、雨が降ってても、暑くても、寒くても、車に抜かれても、前に進んでれば、ただただ、楽しかった。

免許取り立ての少年のように、プラプラ走りまわる。トマトジュースを買いに、わざわざカバーを剥いで車庫から引っ張り出すほどに。

それほどに、走るのが好きになった。

と、いうか走るのが好きだった自分に戻れた。

 

つまらない思い込みのせいで、随分とオートバイに楽しく乗る時間を無駄にしてしまっていたらしい。

 

今ぼくは、無駄にした時間を、すごい勢いで取り戻しているまっ最中だ。


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ちょっと不便な位の方が、だいたい格好いい。

ぼくらの生活には、機能的につくられ、とても便利なものが溢れている。

 

チンと言わないチンする箱で冷凍ご飯がたった数分で美味しいホカホカご飯になり、フッ素加工のフライパンひとつあれば、冷凍のギョーザも水も油も無しでおいしく食べられてしまう。

よくよく考えると、フッ素加工のフライパン自体が、既に便利道具だ。

 

初めての土地でも、車に聞けば道案内をしてくれるし、なんだったらポケットから取り出したスマートフォンに話しかければ、どこにでも連れていってくれるし、読めない漢字も、聞いたことの無い国の言葉でも何でも教えてくれる。

 

とても便利だ。

日常生活において、身の回りの色々な道具たちの無い生活は、もはや考えにくくさえある。

 

しかしながら、その便利なもの達。

どうしてもぼくには言いたいことがある。

 

便利なんだけど、カッコよくなくね?って。

 

スタイルがどうとかこうとかって話しでも、デザインがどうのって言う話しでもなく、道具としての機能美や、使い込んだのちに湧き出す「暖かみ」みたいなものが感じられないのだ。

おそらく、スマホなどは、機能を追及した究極の形なのだろうが、見ただけで「これ、欲しい!」とはならない。

 

スマホはだいたいこの形で、あとはでかいか小さいか。色がどうのこうの位のものだ。

そもそも、OSや、スペックで選ぶものであって、スマホを形で選んでいるのは、世の中で僕だけかもしれない。

スマホに暖かみのある機能美を求めちゃいかんのだろうか。

 

そんなぼくだから、生活のなかでも機能美に溢れた、暖かみのある道具たちを使い倒したい。

 

みんなの憧れダイソン。

確かに、ダイソンはよくゴミを吸う。

特に、コードレスのは煩わしくなくてとても便利だ。

 

でも、普段の掃除に真っ先に手に取るのはこれ。


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昔ながらのホウキ。

ぼくの暮らす神奈川県内の愛川町で、職人に丁寧に美しく編み上げられた「中津箒」だ。

 

たかが箒、されどホウキ。

一度使ったら、この掃き心地は堪らない。

天然物の丁寧に編まれたホウキモロコシがやんわりとホコリをかき集め、穂先に絡まること無くハラハラと掃いたゴミがそこに纏まる。

 

ホウキ一本で、家の掃き掃除が百倍楽しくなった。

 

さすがのダイソンも、ここまで楽しくはならない。

掃除なんてものは、掃除機で手っ取り早く済ませたいものだが、このホウキだと丁寧に掃除をしたくなる。

丁寧にやるから、自ずと他の家具にも優しくなる。

 

このホウキ、部屋を掃いて掃いて掃きまくってすり減ってきたら、玄関用に。

また掃いて掃いて掃きまくってさらに短くなったら、外用に。

 

こうやって上手に使えば、20年は使えるとも。

 

何より、こうやって廊下に吊るしておいても、全く気にならないどころか、通る度に見惚れてしまうほど、美しいのだ。

美しいだけでなく、柔らかな穂先をついついさわさわしてしまう。

 

はっきりいって、値段は張る。

ホウキとは思えない値段だったが、買ったことで損したとは一切思わない。

 

例え多少不便であろうとも、誇るべき職人達の手仕事が見えて、はっきりと感じられる。

そして、いつまでも使い続けたいと思わせてくれるこのような道具こそ、高かろうが安かろうが、ぼくが欲しいと思う、愛すべき道具なのだ。

 

 

 

 

 

 

格好つけライダー

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ロードマンにがっちり胸ぐらをつかまれていたのと同じ頃。

こんなオッサン達がオートバイをグワングワンいわせながら膝摺って走る姿が格好よくて、やっぱりあこがれて遂にオートバイに乗る様になり、そのままオートバイ屋さんにまでなって、さんざんレースやったり、お客さん連れて大勢でツーリングに行っていたりしていたわけだが。

 

気がつけばあの頃あこがれていたオッサン達の歳をとっくに追い越し、自分もすっかりオッサンライダー。

 

最近じゃ、心も身体もすっかり丸くなって、パワーだとかタイムだとか、スピードだとかなんてことは、もはやどうでもいいことで、のんびり景色を眺めながら、美味いざる蕎麦か、コーヒーを探して一人でトコトコお散歩ツーリングを楽しむようになった。

 

年齢とともに、自分が乗ってるオートバイは変わったし、楽しみ方も変わったけれど、やっぱり今でも持ち続けている思いは

「カッコよさ」

に尽きる。

 

オートバイの形、音、ヘルメットの色、ジャケットやブーツの着こなしも。

走り出す仕草もカッコよくなきゃいけないし、心底楽しんでいる笑顔は絶対必要。

最近は、若者の車離れだオートバイ離れだと言われているし、実際そうだと思う。

高校生が16歳で免許を取り、喜び勇んでオートバイを買いに来るなんてことは、僕が働き始めたころと比べると、ずいぶん減ってしまった。


そんな時代ではあるけれど、どこかの少年が、ぼくがオートバイで走ってる姿を見て

「あのオッサン、なんかカッケェじゃん」

って、自分の乗ってる自転車のペダルをいつもより少し強くこいでくれたら嬉しいじゃないか。


やっと補助輪が取れて、口でエンジン音出しながらチャリンコこいでた、あの頃のぼくみたいに。

格好つけのライダー冥利に尽きるって。

 

だから、精いっぱいカッコつけてオートバイを乗り回してるのだ。(実際、カッコいいかどうかは別として・・・)

 

なんかくだらない事でギスギスしている世の中だけれども、いろんな意味で子供達に憧れてもらえる大人になりたいなぁ。

 

なれるのか?

 

たぶん、なれると思うのよ、カッコよく乗り続けてさえいれば。

 

 

スーパーヒーロー・ロードマン

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それは、ようやく補助輪を外したばかりの、小さな緑色の自転車に乗っているころだった。
小1か小2。

近所に住む一回りくらい上の、なんだかんだとよく面倒を見てくれていたお兄ちゃんが乗っていた黄緑色のブリジストンのロードマンが何しろ格好よくて僕のあこがれだった。

ぐるりと丸くなったドロップハンドルに、思わせ振りなダブルのシフトレバー。

どうやったら跨げるんだ?って感じのキリッとした三角形が組み合わされたフレームで、小柄なぼくの頭の上にサドルがついていた。

「こんな自転車乗れるなんて、スゲェ!!!」

幼いぼくには、すごいマシンに乗ったスーパーヒーローだった。

ぼくも、いつかあんなロードマンにのるんだ!と息巻いていたものである。

しかし、ドロップハンドルでギアつきのサドルの高い自転車のことを、全部「ロードマン」と呼ぶんだと思っていたぼくが、ドロップハンドルの自転車には、ロードだピストだスポルティーフランドナーなどと区別されていて、似て非なる物だということを知ったのは、随分と経って「ツール・ド・フランス」を見始めた中学生のころだった。

 

そんな忘れかけていた少年の思いが実ったのは、つい最近のこと。

 「実った」などという言い方をすると、さもそれまで追いかけ続けていたような言い方だが、そんなことはなく、ただ自分の趣味の自転車を持つほどの余裕がなかっただけ。

その間も、まるっきり自転車に乗っていなかったわけではなく、頂きもののマウンテンバイクは数台乗り継いでいた。

 ほんの5年ほど前、少し気持ちにゆとりができて、ドロップハンドルの自転車に乗ろうと思ったが、いざ自転車を手に入れようと思ったとき、あれこれ見て回った自転車屋さんにはぼくの思う自転車は置いてなかったのである。

 

そう、ぼくの思う自転車とは、細くて丸っこいドロップハンドルにコットンのバーテープ、細くて三角の大きなラグ付きのパイプフレーム、そこにダブルレバーとエアポンプとボトルケージ、サドルの下にはくるくるとくくりつけられたスペアタイヤ。

もちろん、似たスタイルのものは今でも売っているけれど、ちょっと違うんだよなぁ。

ビビッと来るものがなくて・・・

 

じゃ、ないなら自分で組み立てちゃえ、色だって好きな色に塗ってしまうのだ。

大人になるまでにいろいろな格好いい自転車を見てきたから、さすがにもうロードマンとは言わない。
もっと本格的なロードバイクだ。

 

名のある職人がロウ付けで組み上げた、年代物のクロモリフレームをベースに。

お気に入りの年代物のパーツもあちこち探して見つけてきた。

スピードなんか求めていない。
距離も時間も気にしない。
でも、ロードバイクである以上、踏めばぐいぐい進んでもらわなければ困る。

遠くに出かけても、山を登っても、砂利道を走ってもへこたれない頑丈さも必要だ。

時には、景色に溶け込み、見るものを虜にするような美しさを。

そして、磨けば磨くほど、ほれ込むような輝きを。

そんな思いで組み立てたら、ちゃんと理想の一台が出来上がった。

文句なしにカッコいい!


多分、あの頃のぼくが見てたら、間違いなく今のぼくはすごいマシンに乗ったスーパーヒーローだ。

ついに、そんなスーパーヒーローになれた喜びで、今日もピカピカのスーパーマシンのペダルをクルクルと回すのである。

「戦場カメラマン・渡部陽一」という特効薬。


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ぼくはオートバイに乗る。

自転車にも乗る。

当然、車にも乗るし、散歩もする。

と、いうことは、毎日毎日、道路を利用する。

 

道路を使うということは、当然、周りには色々な車が走っていて、色々な人が、色々な思惑で、道路という一つの手段を共用している。そしてそこには大なり小なり「軋轢」が生じてしまう。

その結果が、最近ニュースになることの多い「煽り運転」をはじめとする乱暴な運転に繋がってしまうのだろう。

かく言うぼくも、当然のように、運転中にイラッとしてしまうことがあるし、怖い思いをしたこともある。

 

イライラしたところで、何にもならないことは百も承知だし、悪態をついたところで全く気分は晴れないのだが、ブツブツと文句を口にしてしまうことも。

そんな自分に嫌気がさし、なんとかならないものか…と自問していたとき、職場のいつものラジオから、ゆったりとした喋り口のあの声が聞こえてきた。

 「渡部陽一 明日へ喝!http://www.1242.com/watanabe/

という番組。

その「アンガー・マネジメント」という、まさに怒りの感情のコントロールの仕方を知ろうというコーナーの中で、怒りについて問われた渡部氏が

「僕は・・・怒ったことは・・・・ない・・ですねぇ。」

と。

怒りの感情がこみ上げても、声に出して発しようとしたときには、怒りが消えてしまうらしい。

それを聞きながら、ラジオパーソナリティの人と同時に、「そりゃそうでしょうねぇ・・」とつぶやいた。

 

 なるほど。

 

で、あるならば、怒りがこみ上げたときに、”戦場カメラマン・渡部陽一”になってみてはどうだろうか?と、突飛なことを考えてみた。

ぼくは、密かにモノマネには自信があるのだ。

 

ある日、バイクに乗っているときに、チャンス到来。

ぼくのすぐ横を追い越し、目の前ぎりぎりに車が車線を変えてきた!

さぁ、今こそ!!

「こいつ・・・どこ見て・・・・運転・・・・してやがるんだよ・・・」

・・・

 

最初の、「こいつ」の時点で怒りがきれいさっぱり消えた。

ただ笑えた笑えた。

何やってんだか。

これは、予想以上の即効性、強力な特効薬であることを発見。

それからというもの、運転中に割り込まれても、煽られても、ギリギリをかすめられても全くもってムカムカ、イライラしなくなった。

渡部氏のしゃべり方で悪態つこうと思っても、ムカつくどころか、ただ楽しくなってしまうだけ。

あの優しい喋り方、渡部氏は苛烈な戦場で生き抜くための必然から生まれた、と言っていたけれど、人々の深層にある攻撃性というものを取り除いてくれるものなのかも。 

 

この特効薬、ハンドルを握る・・・いや、普段の生活においても、いろんな人たちに飲んでもらいたいなぁ。

 

敗北の神様。

まずは、昨日の台風で、大きな被害を被った全ての方々にお見舞い申し上げます。
皆様の生活が1日も早く元通りになることを、心よりお祈り申し上げます。



さて、ぼくはスポーツ観戦が好きだ。
と、いっても、その時にやってるスポーツを見るといった具合。

何かと話題のラグビーもバレーボールもにわかではあるけれど、アスリート達の真剣勝負を見ていると存分に楽しめ、そして感動にむせび泣くことには違いない。

しかし、しかしである。

ぼくがテレビやラジオの中継で、割りと真面目に観戦しているとき、贔屓のチームはほぼ負けるというジンクスがある。

たった今も、ショウアップナイターを真面目に聞いていたら、阪神も西武も負けた。
と、いうか、そもそもそれ以前に贔屓のDeNAが負けているのである。
先場所の貴景勝も、ぼくが見ている取り組みで土だらけ。挙げ句に怪我までしてしまった。

そうさぼくは敗北の神様なのだ。

なので、、、

このあとも、ラグビーもバレーボールも大一番があるわけだが、ニッポンに勝ってもらわなければ困るので、観戦しないことにする。

でもね、
頑張れ、ニッポン‼️

で、試合後のスポーツニュースで歓喜するために、ヱビスビールは冷やしておくのである。
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追伸 おめでとうニッポン!!!
文句なしの勝ち!!
嬉しいので、こっちも飲みます。
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何も起きない幸せを。

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風が雨戸を叩く音が和らいできた。
風向きが変わった。
台風の中心が神奈川を通り過ぎたのだろうか。
とはいえ、それはあくまでも先程までの恐怖を感じるほどの風と比べてのこと。
ピークは過ぎたようだけど、まだ雨も降っている。

急いで、台風情報を見る。
何と、どうやら今はちょうど台風の目に入ったらしい。

ぼくの暮らす神奈川県央には、いまだ大雨や土砂災害や暴風の警報が出ている。

釣りや、オフロードバイクの練習で慣れ親しんだ相模川も氾濫寸前。
さらに悪いことに、上流の降雨量が依然として多い状態のため、このあと午後10時から城山ダムの緊急放水が予定されている。
放水されれば、想像以上の水の流れが、下流の市街を襲うことにもなりかねない。

何事もなく、通り過ぎてくれ。
どこにも、誰にも何も起きないことを、ただ、祈る。
どうか、ご安全に、、、と。

こんな日に、ぼくは普通の何てことのない日常が保たれていることの幸せに気づけるのです。